男だけのVtuberのライブ
嬉しかったじゃんね。
俺すげえうれしかったよ、男だけのライブをやるって聞いて。クロノワールのドル売りがどうとか、剣持の媚びがどうとか、俺らって色々言ってきたけど、そんなんぶっ飛ぶくらい嬉しかった。まあ俺は言ってませんけど。
にじそうさくの締め切り(入稿2/13)もあるし、俺、ニートだし、悩みに悩んだ末、現地には行かなかったし、行けなかったんだけども、「ネチケで家で1人で見るのも楽しいかもしれない」という思いつきがその「行かない」という決断をバシッと後押しした。
ライブビューイングってあるでしょ、あの、映画館で見るやつ。「推しのライブなんだから現地行けや」って言いたい気持ちもわかるけど、俺はライブビューイングはライブビューイングでけっこう好き。
その理由ってのが、なにより「観やすさ」にある。てかこれ俺のブログで毎回触れてないか?まあいいや書く。
そりゃ現地って、円盤には映らない演者の所作が摂取できるから、いわゆるそれが「ライブ感」として重宝されるわけだけど、大概の席は見づらいし、狭いし、身長によってはきついことが多かったりするわけじゃないですか。
ライブビューイングってのは、他のオタクたちといっしょにワーワー騒いでライブ感を得つつも、円盤化されるような観やすい映像をリアタイできるわけ。
「現地参戦」が「当たるとデカイけど、外れるとキツイ」バクチだとすれば、ライブビューイングは安パイに当たるんじゃないかと俺は思ってる。人生バクチしていきたいけど、バクチしてばっかじゃ疲れるでしょ。安パイに引くのも悪くない時がある。
それで、今回はネットチケット買って、家にあるディスプレイ端末を使ってライブをリアタイしたわけだけども。
みなさんインターネットでオタクたちに対して自分のことは棚に上げて、「きつい」「風呂に入れ」「ルールを守れ」と言いまくってると思うんですけど、ライブビューイングはそういうストレスフルな人がオタクに人権を侵害されることもあるわけ。でも、ネットチケット買って家でライブを見ればオタクたちがオタクたちに傷つけられるとかいう社会のために良いことしかなさそうな悲劇も起こらなくて済む。よかったね。
まあ俺は正直なところ、ライブで自己顕示欲暴発させてネタ臭い大声を出す客のオタクとか、UOグルグルとか、そういういわゆる「厄介」って言われることは、ダメだとは思っても、「垢消して一生家から出るな」とまでは思わない。俺はそういうのを目の当たりにしても、「まあこういうのも味があるんじゃないですかね」くらいに思う。ダメな行為は叩かれて糾弾されて当たり前だけど、全員行儀良くならないで欲しいなという思いがある。
動画のコメント欄で「今見てるやつおる?」「ノ」みたいなのも、クソ寒くて勘弁してくれとは思うけど、絶対なくならないで欲しい。高山を石橋に撃つときの十兵衛みたいになってる。矛盾する思いがある。必殺を出すが、死んで欲しくない。
今回、動画のコメ欄のオタクたちと一緒にライブ参戦をしたということで、「ああ家に家に居てもコメントによっていい意味でも悪い意味でもオタクたちが巻き起こすライブ感が味わえるんだな」と感じた。
家で自分で入れた酒を飲みながら色々曖昧にしてしまってライブを鑑賞すると言うのは、現地行けなかった寂しさは当然あるけども、ネットチケット参戦もこれはこれで独特の良さがあるものだなと思ったりした。
剣持刀也
ここで一曲一曲セトリと照覧しながらライブレポを書いていくのもいいけど、今回は演者ごとにレポしていくぜ。三万字とかになっちゃうからね。
率直に言って、「お前がナンバーワンだ」という感想が剣持にはある。
各ライブ企画に於いていつも先陣を切って場を盛り上げ、各企画で前に立ってトークを回していく剣持の姿。「一番初め」と言う意味でも、ナンバーワンだし、その資質に関してもまさにナンバーワンだと思う。
「かっこいい」「かわいい」「おもしろい」剣持に関しては色々な好感情を日々みなさん感じているところだと思うが、俺は剣持刀也、彼の人間性に対してのリスペクトがある。ライブのあとの振り返り配信、喉の酷使と風邪によって咳を繰り返す剣持。それに対しての心配を繰り返すコメント欄に対して言った彼の言葉、俺のリスペクト要素がそこに詰まっていた。
剣ちゃんいいこと言うじゃん pic.twitter.com/dT07E5uLgF
— いながわ (@Inajun2434) 2020年2月14日
そして、「お前がナンバーワンだ」と思った理由がもうひとつ。
それが、叶とデュエットをした「雨とペトラ」だ。
剣持刀也、彼は一期生扱いされることを、にじさんじの男性ライバーの原初であると扱われることを嫌う。それは、事実ではないから。彼は二期生だから。
しかし、剣持はにじさんじという箱が黎明であるそのとき、男性バーチャルYouTuberと言う存在がまだまだマイナーであったとき、その界隈の先陣を切っていった。良くも悪くも、月ノ美兎と並び称される存在に彼はいま、なっている。
そして、叶。彼もまた、今はもうバケモノ集団と化したにじさんじゲーマーズの一番槍。一期生二期生Seeds箱との断絶、葛葉にまつわる炎上、笹木の引退など、様々な障害を乗り越えて、叶はゲーマーズの原初として歩んできた。
原初という属性を背負ってここまで歩いてきた、その二人が並んで楽しそうに歌っている。その二人の姿をみて思うこと、
「お前たちがナンバーワンだ」
叶
https://www.youtube.com/watch?v=3_r9KsfdgpU
足りなーいおじさんだ。
Peacock Epoch、みなさんいかがでしたか。俺は面白くてしょうがなくてめちゃくちゃ笑ってたよ。「叶がやりたいって言ったのかな」とか安直に考えてたら、社長の提案だったと振り返り配信でわかって、ゲーマーズを追ってきた者として自分を恥じたね。
咎ノワール楽曲がゴリゴリのドル売りだったことに、去年の秋俺は顔をしかめていた。その想いについてはオヤドマーリの記事に詳しく、彼の意見には首肯しかない。
kingdombono.hatenablog.jp このことから、今回のライブもゴリゴリのドル売りセットリストになることを覚悟し、決して文句を言わぬようドイツ製の麻糸で口を縫い付けていた。しかし、まさにそれこそ杞憂で、蓋を開けてみれば、しっかり演者たちがやりたい曲を持ち寄って作られたセットリストになっていた。
結局ドル売り曲はこの一曲だけで、一曲だけだったからこそ凄く輝いていた。ドル売り曲を愛する諸氏も、この一曲があったことで満足したんじゃないかと思う。何曲ものドル売り曲が並んでいたら、感覚は麻痺し、胃はもたれて「ドル売りの良さ」に尊さを感じることが難しくなっていたんじゃないだろうか。そんなふうに思っている。
でも叶すごく楽しそうだった。なんならライブ通して、一番楽しそうではしゃいでたのは叶だったんじゃないかな。
葛葉のブリキノダンスの勢いに引っ張られて自分の一曲目なのに喉をゴリゴリに消費していた「バッド・ダンス・ホール」や、前々からやりたかったと言っていた「純情スカート」でのやり切った感、観ていて本当に楽しそうだった。
でも、俺が今公演で叶の一番好きだったところは、ライブ前の注意事項読み上げ。
叶の声が聞こえて、俺はすぐに「最協決定戦」や、他のゲーム大会に出る前の声を想起した。大会前、彼はおそらくは心因性だと思われる咳を繰り返して、つらそうに喋る。そして、大会が始まるや否や、ピタッと咳は止まって、パフォーマンスを発揮する。そのときのつらそうな話し方で、叶はライブ前の注意事項を読んでいた。そして、いつものように、ライブでは存分にパフォーマンスを発揮した。
俺が叶の好きなところは、「弱くて、強い」ところだ。弱さがあるから、強さがあって、強いからこそ弱さがある。そういう人間味あふれるかっこよさが叶にはあると思うのだ。
葛葉
ポルノグラフィティ 『THE DAY』(Short Ver.) / Porno Graffitti 『THE DAY』(Short Ver.)
白状しよう、俺は、葛葉推しだ。別に推し変とか、そういうのじゃない。いつのまにかそうなっていたのだ。だからしょうがない。葛葉推しになろうとか、そういうのがあったのではなく、自分が摂取してるもの、やっていることを振り返って見てみれば、その痕跡が葛葉推しのそれだったのだ。だから、俺はいま、葛葉推しだ。
「書き表せないほど」というのは、ちょっとでも意識して文字に触っている者たちからすれば、それは敗北宣言だ。ここに宣言する。俺は敗北している。
書いても書ききれないないし、書きながら葛葉のこの福岡公演での様子を想うと、数々の想念が溢れ出して、なにがなんだかわからなくなる。
だから、書けることだけ書くしかない。
ポルノグラフティの「THE DAY」を誰かが歌う、と事前放送の企画で百花繚乱さんが明かした。
コメント欄では、「加賀美ハヤトが歌うのではないか?」という意見が多かった。歌枠や、le jouetの弾き語り配信などでポルノグラフティを歌うことが何回かあったから、「ポルノ=社長」のイメージが強かったのだろう。
しかし、実際歌ったのは葛葉だった。
カラオケに行き、ポルノグラフティの曲を歌おうと試みたことがある人間ならわかると想うが、ポルノを歌おうとすると、人はボーカルの岡野さんの歌い方に寄ってしまう。サザンでも同じようなことが起きやすい。
葛葉の「The DAY」がどうだったかというと、「似てる」というコメントもあったとおりに、寄せにいっていた。
未熟ゆえのことであるとも言えるし、モノマネは観ていて楽しいので、ファンサービスのために寄せに行っていたとも捉えることもできる。実際は似せることについて葛葉の意図なんてものはないのかもしれない。
俺は、葛葉の「The DAY」を聴いて、寄せに行っているはずなのに、いや、寄せに行っているからこそ、葛葉らしさを感じたんだ。
本来ポルノのボーカル岡野さんの歌い方って、「跳ねるような」って表現されるような歌唱で、聴いている人の気持ちを煽って気分を盛り上げてくれるような歌い方だと思う。その跳ねるような煽りには、「アポロ」のころからずっと、どこかセクシーで大人っぽさある。
でも、葛葉の「The DAY」、あれは完全に少年で、若々しい主人公だった。
岡野さんの真似をしたからこそ、岡野さんと葛葉の違いが明らかになる、この体験っていうのは、本当にすごくて、「葛葉って、やっぱり葛葉じゃん!」って新鮮に驚かせてくれてメチャクチャに嬉しいんだよね。
ライブでモノマネってお前、カラオケ大会かよ!ってツッコミもできるんだけど、バーチャルYouTuberってキャラクターだし、キャラクターの「らしさ」がバキバキに感じられたのが、この「The DAY」だった。そう思う。
加賀美ハヤト
【MV】加賀美ハヤト - WITHIN(Short ver.)【にじさんじ】
本当にこわかったよ、この人。
「私、にじさんじにこれやりにきてるんで」
ってバチバチに伝わってきて本当にこわかった。
「これやりににじさんじに入ったのかよ!」って。
そういう、恐ろしさ、凄まじさを感じるようなパフォーマンスだった。
そんで、社長、彼、MC中とかライブでの基本姿勢が、踵をピチーッと合わせた姿勢なんですよね。んで、画像みたいな「歩き」のムーブも、キャットウォークなんですよ。足を交互に交差させて歩くような、モデル歩きってやつ。これはもう、完全に彼は意識してやってることで、「エアマイク」って言われてた、マイクを持つような仕草もあいまって、「見ろ!」っていう声が聞こえてくるようなパフォーマンスだったんですよね。
男性Vの「パフォーマンス」って一点だけでいえば、2020年2月現状、もしかしたら加賀美ハヤトが一番なんじゃねえか、って。お手本にもなり得るような、そんな気さえしてくる。
メタい話かもしれんけど、実際の肉体でのライブパフォーマンスに比べて、3DCGモデルに投影させるライブパフォーマンスって、大げさにやらなきゃ伝わりにくいってのがあると思うんですよね。やっぱり、指先とか、息遣いとか、表情とか、技術がいくら進んでもそこらへんの機微は3DCGモデルの投影では伝わりにくいはず。
だから社長はキャットウォークをするし、立ち姿では踵を合わせて立つし、ライブ感を出すためにマイクを持つ仕草をする。観客に自分と言う存在を訴えるために、男性3DCGモデルを使ってそこまでしたのは、加賀美ハヤトが初めてだろう。ありがとう、ハヤト。
で、当たり前みたいに歌が上手い。毎回びっくりするくらい歌が上手い。
葛葉が、「社長の歌い方にメッチャ影響されて声張るようになった」って言ってたのがめちゃくちゃ嬉しかった。
社長と会うまでは、近くで歌についての活動してる存在として叶がいて、たぶん叶の歌い方に影響されてたんだと思う。声量を抑えて、音程やリズムをキープして、ミックスボイスで声量を補強していくという王道の歌唱。疑心暗鬼を葛葉が歌った時も、参考にしていた歌い手はそういう王道のやり方の人だったし、葛葉の中で「歌う」ということはそういうことだったんだと思う。
でも、俺は、ずっと、ずっとずっと葛葉に声張って歌って欲しかった。声質的に絶対そのほうがいいって、ずっとずっと思ってた。
それを叶えてくれたのが、加賀美ハヤトであり、この福岡公演であり、「CROW」(「アーリオオーリオ(アーリオオーリオではない)」)だったんだ。
ありがとう、ハヤト。にじさんじをムチャクチャにしてくれ。
ChroNoiR、そして、ヘテロスタシス
【MV】ヘテロスタシス / ChroNoiR【オリジナル曲】
俺はまだぬゆりさんが、ぬるりだったりnulutだったりした、「やけるさかな」の頃から好きで、クロノワールの二人が「終末じゃない」を歌って、クロノワールtvのテーマ曲がぬゆりさんで、叶がぬゆりさんとPUBG一緒にしたりしてて、「こんな嬉しいことがあるかよ」って、ずっと思ってたし、これ以上望むなんて贅沢すぎる、そう思って暮らしてきた。そうだよ、ニート生活をよ。
でも、ずっと心の底では捨てきれなかった。
「クロノワールのオリジナル楽曲が、ぬゆりによる曲」
もし、そうなれば、それはなんてすてきなことで、すばらしいんだ、そんな妄想で日々を凌いできた。そうだよ、ニートの日々をよ。
そして、オタクの夢が叶うときが来た。
ヘテロスタシスが流れた瞬間の爆音明那と無音明那で草生えた pic.twitter.com/QqQ3e61ZRn
— のんか (@ZvXYA6ca8xjZT93) 2020年2月13日
だいたいこんな感じになってた。
この画面上部の、歌詞がでるやつ、なんかイカした横文字がるんですけど、忘れたし、しらべるのだるいんでアレですけど、これが手書きなんですよ。
もしかしたら手書きフォント的な、そういうやつかもしんねえけど、これがとにかく良かった。上のこの横長の画面がすげーよかった。クラブのVJみたいなやつ。
手書きのペンでつらつらと歌詞が紡がれていく映像、これはぬゆりさんの歌詞がスゲえから良かったし、歌詞がすごい。
どうすごいかって、キャラソンじゃないんですよ。
クロノワールの曲ってなんぼでもキャラソンにできるわけ。二人にまつわる言葉なんて無限に湧いてくるでしょ、って。
でも、ヘテロスタシスの歌詞は、決して二人の存在をなぞりきらない。歌詞を二人の存在に当てはめることはできても、二人の存在を歌詞に当てはめることはできない。
それが、すごく嬉しい。ぬゆりさんって、そうだよなあって。ぬゆりさんのファンとしてもすごく嬉しい楽曲になってると思う。
「ヘテロスタシス」ってタイトルを観た時、違和感があった。それは、俺の元々知っている言葉としては、先に「クロノスタシス」があったからだ。「クロノワール」の曲に、「クロノスタシス」ってタイトルを付けることが自然すぎて、「クロノワール」の「ヘテロスタシス」って曲には「クロノスタシス」って言葉を幻視してしまう。
よく知られる例として「時計の針が止まって見える現象」がある。アナログ時計に目を向けると、秒針の動きが示す最初の1秒間がその次の1秒間より長く見えるというものである[1]。
・ヘテロスタシス
両方とも心理学用語ではあるけど、類義でも対義でもない。
歌詞のサビの終わり、「まだもがいている途中」というフレーズが繰り返し出てくる。
「もがく」という行為はおそらく、ヘテロスタシスの「自分の意思で自己実現をしようとする」という意味での「もがき」なんだろう。
そして、「途中」というのは「その瞬間」とも言い換えることできる。
「ヘテロスタシス」という曲は、「自らの意思で変化を起こそうとしている二人のもがいているその瞬間一曲の歌詞に引き伸ばして『クロノスタシス』を起こしている」とも解釈できるのかもしれない。
俺たちは、クロノワールのヘテロスタシスしているクロノスタシスを今も見ている。
最後に
やっぱりなんだかんだ言って、現地に行きたかったよ。
剣持刀也が切り開いていくその動きを、加賀美ハヤトの一挙手一投足を、クロノワールの2人が寄り添った時にみんなが流した涙を、現地で感じたかった。
とはいえ、ネットチケットのおかげでこうして色々と思い、考え、そして書くことが出来たことには感謝しかない。
今後もライブツアーは続いていく。彼ら・彼女たちの躍動はまだまだ終わらない。
宣伝させてくれ、すまん
今回ライブに行けなかった要因の大きなものとして原稿がある。原稿は無事に完成し、本はすでに印刷されているそうで、にじそうさく03にて頒布を予定しています。
nijisanji.familiar-life.info 出す本の内容はくずンボで、俺は葛葉視点の小説を書かせてもらいました。初めての同人誌が出せると言うことには感謝しかない。
ゆいまーるさんとの合同誌で、漫画のサンプルはこちら。
www.pixiv.net 俺の小説サンプルはこちら。。。
www.pixiv.net 通販予約も既に始まっているのでよければ。。。
yuimaaaal.booth.pm いい表紙だなあ、おい。ちょっとだけ表紙のデザインにも関わらせてもらったので感無量。よろしくね。