『ドラキュラ紀元』を読んだ

 この小説はどれくらいの知名度なんだろうか。

 漫画『ヘルシング』はもちろん、Fateシリーズにも大きな影響を与えているんじゃないかとどうしても勘繰ってしまう。誰もが耳にしたことあるような怪物や偉人が物語狭しと活躍、字の通りまさに活き躍る作品。

 自分は一応はオタクとして生きていると自覚はしていても、各種評論や作家同士の対談など、手軽に読めるものしか目を通せていない。設定集とか、高いからね……作家の座談会とか、全部東京だしね……。

 そのために自分の記憶では、定番の質問やトピック「この作品に影響を与えた作家や作品は?」という事項に対してこの『ドラキュラ紀元』を目にした記憶がないのが不思議に思える。

 それほどまでに、ファンタジー小説として、伝奇小説としての読み味は充実している。

 

 『ドラキュラ紀元』に類する物語作品は今や数多くあるかもしれない。Fate、特にFGOの隆盛以降、恐ろしいことに二次創作でも資料と考察が練られたものであればこれくらいの情報量の作品を目にすることは、2023年現在簡単なことかもしれない。

 でもそれは結局、現在になって書かれた物語であり、この小説の魅力のひとつとしてあるのは、確実に90年代前半に書かれているということが挙げられる。

 物語の構造、そして何より文体が30年近く前に作られたものであると読者に訴えかけながらも、16歳の少女のまま400年近く生きるヴァンパイアの少女と、英国秘密結社の闇を抱えた男という、鮮やかな関係性が映えている。

 

 『ドラキュラ紀元』は紛れもない冒険小説だった。もちろん作者は独自に調査した資料と同志たちと練った考察を読者に伝えるために、物語を作ったのだと思う。

 切り裂きジャックの無惨な犯行は、ヴァンパイアが跋扈する世界にあって現実にも増してグロテスクで、異形が支配するロンドンは退廃を極め陰惨に描かれている。

 そのような環境下にあっても、この小説は読んでいて楽しい。読者の身に馴染む鮮やかさを湛えた登場人物が、陰謀渦巻く殺人事件の真実に近づいていく展開は、次々と気持ちよく物語の続きを読みたくさせる。その欲求に自然と従えば、グロテスクなはずなのに読んでいて爽やかにも思えるほどの冒険を感じることができる。

 

 以下、こんなことを書くと、アナログ主義なのかとか、結果よりプロセス派かよとかいう感じだが。

 30年前に資料と考察を存分に詰め込んだ伝奇を書くとなると、インターネットが発達した現在とは情報のインプット・アウトプットが変わってきて、それにより物語の形成も30年前当時特有になって読み味に現れるということもあるんじゃないかと感じさせる。

 それはある種小説に酔わされたロマンチックな想像かもしれないが、血と霧に酔わされるというのは、『ドラキュラ紀元』に上手く浸ることができた証拠にもなるんじゃないかと、悪い気はしない。