『アバウト・タイム』を見た

世話になった先輩というものは誰しもの人生にいて、誰しもが時折そういう人と再会しながら人生を送っていく。

ある日俺もその1人だった。

人生の過程や変遷などを交換しあって、自分がその交換に差し出せるもののなさにうんざりしながら、最近恋愛についてのお話を書くことが多いと話した。

その先輩は昔から映画が好きで、最近は殊更よく映画を見るという。それで勧められたのがこの『アバウト・タイム』だった

その先輩と会った日は、大量の同人誌を捨てたすぐ後だったらしく、かたや俺といえば人生で一番オタクしとるなという実感があり、俺から話せることといえば俺がオタクとしてどんなことをしてたりしてなかったりしかなかった俺としては時間の経過などを感じたものだった。

先輩は結婚をして、新しい仕事のための勉強を頑張り、日々を着実に生きていて、「ぽれは・・・」となったもんだったが、この『アバウト・タイム』はまさにその日々の幸せについて描かれた作品に思える。

主人公の人生は決して劇的なものではない。

はじめ、主人公は恋愛に対しての屈託はあるものの、自身の持つタイムリープ能力によって人生を好転させていく。

しかし決してこの映画で「タイムラインのねじれによる矛盾」や「自分の人生を好くしてしまったことから起こる逃れられない大きな災禍」などは起こらない。

最近読んでるものがそこそこハードめなSFだったから主人公のタイムリープが明かされた直後は折角好転した主人公の人生が覆ってしまうんじゃないかとヒヤヒヤしたけど、そんな心配はこの映画にはどうやら不要だった。

この映画は小さな幸せについての話だ。

誰しもに起こりうる日々の小さな幸せについて描かれている。家族、恋人、友人。その人たちとのなんの変哲のない楽しい出来ごとたちを謳歌して行こう、とこの映画は言う。

でも、それではつまらない。映画は物語であり、物語には高低差や劇的な展開がどうしても望まれる。

しかしながら、この映画は面白い。それの理由としてあるのが、テンポの良さだ。

それほど凝ったユーモアではないのに、ふとしたセリフの応酬で思わず笑ってしまう。それは会話のテンポによる快感から来るものであり、この映画は2時間最初から最後まで物語が気持ちよく展開されていく。

人は物語が展開していくこと自体に快感を感じる。冗長な長編小説を読んでも、それを読み切れば人は多大な達成感を得る。

たった2時間の映画でその快感を感じさせるのは、やはり監督や脚本や演出の技量の高さによるものだ。俳優の演技も自然でうまかったと思うが、演技については不得手なので語ることはできない。

ヒット作を数々生み出してきた監督の技量というものに、圧倒された2時間だった。

セリフのユーモアをリズム感で分からされるこの映画だからこそ、本来つまらないはずの「日々を生きる人の小さな幸せ」がどれほど尊いものなのかを伝えることに成功している。それに、タイムリープを味付けとして使うことで、本来過ごしているはずの何の変哲もない生活が本当はどれほど大事なものなのかもよく伝わってくる。

「時間改変を使った恋愛もの」という触れ込みからして観ると、この映画は拍子抜けして肩透かしを喰らう感はあるだろう。

でもその拍子抜けは「なあんだ」という安心であり、決して不快なものではない。

「なんだ、これでいいんだ」と主人公の人生を観て思わされることは観る人にとっての癒しになる。

目にも鮮やかな登場人物の衣装や、少しくすんでいるカラフルな古い車、夢に見るような田舎町として描かれるコーンウォールの風景。主人公たちが訪れるカフェのテラスや、かわいい店の外観などもその拍子抜けによる安心感ととてもマッチしている。

ただ、この映画を俺に勧めた人たちは2組いる。

2組。なぜその表し方になるのかというと、それは2組とも俺と同年代の夫婦だからであり、しかも2組ともこの映画は夫婦2人で観たのだと言う。

2組の夫婦、つまりは4人な訳だが、俺はその4人ともをそれぞれに知っていて、その夫婦が夫婦足りえたとき俺は心から祝福した2人なのだ。

かたや、俺はアマゾンプライムで1人iPadでこの映画を観た。もし独り身の人がこの映画を観た後、現実に帰ってきて沸き上がりそうになる虚無感を抑えられる人にはこの映画は勧められるだろう。

俺は今ちょうど、この文章を書いてその虚無感を押さえつけようとしているところだ。