図書館で司書として働いていたとき、私は中高生向けの本に関する業務が多かった。叫ばれる「中高生の読書離れ」に向けて各出版社たちは数多くの中高生向け書籍の出版に挑戦していた。それらを目にするたびに、どうしても穿った考えをしてしまう。「中高生が『中高生向け』と銘打たれた本を手に取るだろうか?」
前提として「図書館を利用する」中高生がそもそも少なく、なんらかの目的意識を持つ機会がないと、多くの中高生は図書館を利用することなく大人になっていく。学校図書館さえ授業以外で一度も利用せずに卒業するのは当たり前ではないだろうか。部活動に邁進している生徒や、受験に向けて勉学に打ち込んでいる生徒が、誰もが目指すべき理想像としてある以上、そんな忙しい生徒たちが「わざわざ図書館を利用する」という選択をして、あまつさえ「本を手に取って読む」という行為に至る暇はない。本当に図書館を中高生に利用をして欲しいなら、「周辺で行われた部活動の全試合のスコアがまとめられた資料がある」とか「受験勉強に必須な模試などの書籍を数多く所蔵している」とか、そういう公共図書館としては現実的でない手法を取らざるを得ないだろう。
私は図書館にわざわざ来るのは元来本が好きな中高生だけだと思っている。環境や教育の影響で読書に慣れている中高生が「読書経験が浅い中高生でも読めるような本だよ!」と書かれた本をわざわざ手に取るだろうか。絵本や児童書を経て、大海原のごとく広がる一般書に臨んで、「ようやく読めるようになって来たぞ!」と意気込んでいる本好きの中高生があえて一般書を平易にした書籍を手にとることに私は共感を持てない。もちろん中には一般書へと上手く橋渡しするような中高生向け書籍もある。しかし多くは名著と呼ばれる本を薄めただけの本ばかりだ。それでも公共図書館の中高生向け担当や、学校図書館は脳死で選書するのだから出版社としては正しい。
だから私は司書であったとき、あえて大人向けの本を選書することが多かった。専門知識や学問に向けてガイドになってくれるような一般書で、装丁やデザインやレイアウトが洗練されてカッコよかったり可愛かったりするようなものを選んで中高生に向けた棚に置いていた。しかし図書館というのは予算に限りがあり、予算が豊かな館でも棚に置ける本には限りがある。そういう良書は一般書が並ぶ書架にも欲しい本であり、結局「そんな大人向けの本を置いて中高生が読むとは思えない」という意見に晒され続けた。実際、私のこんな「中高生向けと銘打たれた本どれもおもんなさそうすぎる」という意地の悪い考えで選書された書架を作ったところで来館者が増えるわけでもなんでもないので、意味はなかったのかもしれない。その思想を捨てきれなかったために結局こうして私は司書として働き続けることができなかったわけだし。
『世界最先端の研究が教えるすごい哲学』、この本を手に取ってまず思い出したのが、前置きに長々と書いた当時の気持ちだ。当時の私が司書としてこの本を手に取ったとき「読書が好きな中高生に向けてピッタリの本だ!」と喜んだことだろう。
この本は題打たれている通り、哲学研究の中でも新しい論考が多く取り扱われている。そのため、中学生には意味が捉えづらい言葉や表現も数多くある。でも、読書が好きな人間はみんなそうであると勝手に思い込んでいるが、わからない言葉に出会った時にこそ知的好奇心が刺激されるというものではないだろうか。そしてその知的好奇心こそ、読書が好きな中高生の数多くが持っている気持ちではないだろうか。
わからない言葉が延々と続けばその先読了ならず本を置くこととなるだろう。知っていることやわかって当然だと感じる表現が延々と続けばそのうち飽きてスマホを片手にし本を置くこととなるだろう。重要なのは、知らない文章と、意味のわかる文章がバランスよく書かれていることだ。この本はまず記事冒頭に共感を得やすいトピックを置いて、哲学的な専門知識で噛み砕いて説明してくれる。
YouTubeにおける学問チャンネルとしては「言語学ラジオ」が巷では人気だ。言語学ラジオを旗頭として数学や哲学など、さまざまなYouTubeチャンネルが立ち並び盛んに活動を行っている。私も視聴者の一人だが、ついつい途中で視聴を止めてウェブブラウザの検索窓に動画タイトルにあるトピックを投げ込んで検索に耽ることがままある。パラドックスだとか超弦論だとか、込み入った内容を人の解説の声を聴くに任せるより、結局はネット記事を読んだ方が手っ取り早い時があるからだ。せっかく途中まで動画を視聴したのに、堪え性なくもどかしくてインターネットの記事頼るということは、多くの人も経験しているかもしれない。
それで言えば、『すごい哲学』内の目次に並んだ記事一つ一つが、私にはまるでYouTubeの動画タイトルが並んでいるようにも見える。
多くの人が関心を持つトピックスが並んで、専門知識を持つ人が解説をしてくれる。YouTubeの視聴をやめてついつい検索をしてしまう人間にとってこういうのが一番いい。YouTubeと違って出版されている本なので専門家は出自は明らかで、情報の参照先の論文タイトルまで明記されている。どこで何を研究している人なのかよくわからない人間が、一体何を基にして語っているのかよくわからないことを延々と聞く羽目になるという、動画視聴における不安も、当たり前だがない。
私としては、「レアグッズの転売は道徳的に問題なのか?」「死んだ人をバーチャルキャラとして「復活」させていいのか?」という記事はオタクとして活動していると日々感じる疑問のすぐそばにあり、気を引かれた。その行為を不快に感じて何らかの問題があるとわかっていても、どういう点がどのように問題とされているのかまでなかなか考えることができない。ただ友達に「転売ってカスだよね」「Vtuberだからって何してもいいわけじゃないよね」と日々愚痴る程度のことだ。転売という行為は経済活動として人にどんな影響を与えるのか、ファンはグッズをどのように扱うべきなのか。人は死んだ後にプライバシーがあるのか、人は死んだ後にもキャラクターとして存在し続けるのか。さまざまな問いについて具体的な研究結果が示されていて、私は自分の中での理解を前進させる良いきっかけになった。
この本の「あとがき」にもあるように、哲学研究者が日々論文を読むなかで、「面白いけど研究成果にはつながらない」となってしまった経験をそのまま捨て置くには勿体無い、と本にまとめてくれたものだ。一応は章立てされていても本を通してはっきりとした流れがあるわけでもなく、集まった各著者の文の調子などもバラエティに富んでいる。だからこそ飽きが来なくて楽しいとも言えるが、まとまりに欠けるとも言えるかもしれない。本当にYouTubeで「意外と身近な哲学」と検索したときに、偶然良さそうな動画がずらりと並んで、そこから拾って視聴していくような読み味だ。研究者が日々作業を行うその様を表すためなのか、重要な箇所は太文字になって蛍光ペンでラインを引いたようなレイアウトが為されているが、これも私にとっては該当箇所が目を引きすぎて読みづらかった。
ただ、『世界最先端の研究が教えるすごい哲学』という本のタイトルがこの本がどんな本なのかを表しているとも言える。これはまさに簡潔さや意味深さをかなぐり捨てて「人の目を引く」ことに特化している。YouTubeでおしゃれな動画をたくさん作りたい、変わった動画を作っていきたいと意気込んだクリエイターが回を重ねるごとに黒枠赤太文字ドーン!なサムネになっていくことは珍しいことじゃないと耳にしたことがある。だから、もしかしたら「世界最先端の研究が教えるすごい哲学をまとめた本がないかな」と考えているある程度読書経験があるような人の一部は、このタイトルというだけで黒枠赤文字ドーン!な気配を感じて手に取りづらく感じるかもしれない。だからと言って、もっと簡潔だったり、意味深いタイトルをつけるべきだろう、とは私は思わない。この本は紛れもなく『世界最先端の研究が教えるすごい哲学』をまとめた本であり、このタイトルが持つもしかすると俗っぽいとも思える雰囲気は、親しみやすさと知的好奇心を刺激するバランスが上手く取れている本だということがしっかり表れているからだ。