それはそうとして、葛葉はドラキュラ伯爵に忠実で吸血鬼としてすごいという話

 

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 前記事で散々「いや、別に吸血鬼キャラが『ドラキュラ』に忠実かどうかでなにかが揺さぶられるわけではないですよ」とか書いたが、あれはウソだ。

 正直、小説『ドラキュラ』を読んでいて「葛葉めちゃくちゃ吸血鬼やっとるやんけ! すげえ!」って何度も興奮した。前記事で散々小説『ドラキュラ』のここがすごい! 古い小説なのにめちゃおもろい! とつらつら語ってたけれど、正直俺が葛葉好きでドラキュラ伯爵の設定を葛葉が活かしている箇所を発見するたびに興奮してたから物語がめっちゃおもろかったんじゃねえかという自己分析も、あります。まあでも前記事もちゃんと心を込めて書きました。小説が面白かったのはマジなんだから。

 これは前記事読まないとわからんことだけども、作者のブラム・ストーカーがヘンリー・アーヴィングっていう劇俳優の大ファンでドラキュラのモデルにしたってことで、この本の解説の人が「それってホモってことですよねえ!」って言い始めたのに対して散々「いや、そんなわけないだろ。男が男のファンだからってホモって短絡的過ぎませんか? 普通にファンボだっただけだと思いますけど。メガネクイクイ」って前記事に書いてた男が男のオタクである様子を書いて行こうというのヤバすぎるだろ。オタクって本当に信用ならないから書いてること全部ウソだと思ったほうが絶対良い。特殊詐欺よりひどい。

ドラキュラ伯爵は基本おっさんなのに、見た目で葛葉と共通してるところがいくつもあるのって、ロアロママすごくないか?

 まず小説『ドラキュラ』に出てくるドラキュラ伯爵って最初登場する時白髪白髭なんだよね。そんで、物語が進展していって吸血で若い生気をチューチューしたら黒髪黒髭のテカテカおっさんになってロンドンで若い女と新しい住処を物色しまくるわけ。

 いや、葛葉やん。

 元は白髪やけど、人間社会では黒髪って。制服衣装実装後の黒髪葛葉やん。わりと最近やん。てか赤い眼もなんか吸血鬼コンテンツが古い映画とか含めて進んでくにつれてホラー演出として定着していったのかと思ったら、めちゃめちゃ原作設定だったわ。あとめっちゃ色白なのもそうだった。尖った耳はもう言わずもがなだし。りりむも赤目で尖った耳してるのも、これは幻想小説界隈で言うと、犯罪行為を厭わない邪悪な面相って要素の一部らしいです。魔族だからね。

 そうなってくると貴族設定とかも、「ほんまにお前吸血鬼なんやな(ボドカ)」って感じしてくる感ある。ドラキュラは小説内で執拗なまでに高貴な伯爵として振る舞いまくるし、葛葉はめちゃくちゃ設定からして貴族吸血鬼であろうとしまくっとる。ボドカって一生葛葉のこと吸血鬼として扱う言動しまくるけどなんなん? 時々とはいえ余りにもオタクがすぎるだろ。パリピでしかないキャラデザしてんのにボドカ。女性Vをめっちゃかわいいキャラとして扱うのはなんか普通に萌えオタって感じでなんも思わんけど、葛葉にまでそれをぶつけてるの面白すぎるだろ。ヴィトン着て葛葉にオタクムーブぶつけるのやめろ。

 そもそもとして、葛葉は個人から今に至るってのもあるけど、葛葉見てて「設定守ろうとしてるなー」って思ったことがないんだよな。なんか好きでこのキャラやってるから楽しいよ、って感じしかしない。それなのにめちゃくちゃドラキュラっぽい要素をしっかり押し出してきてるのがなんか奇跡感じるよね。日々奇跡を感じ光を浴びて生きて行きたい。

魔力だの、怪異だの

 葛葉は「ニンニク食えるよ」「血吸わなくても死なないよ」「太陽イヤだけど別に外出歩けるよ」ってリスナーに無限回言ってるけど、『ドラキュラ』ちゃんと読むまではこれは葛葉が楽に活動していくためにあるていど縛り緩くしていってんのかなーって思ってたのクソ浅はかだったわ。

 原作のドラキュラ伯爵ってニンニクにはたしかに近寄れないけど、それは自身の高貴さと穢れを自覚しているからこそで、たしかに「近寄ることが出来ない」のも事実だけど、けっこうな割合で「近寄らないことにしている」って部分があるんだよな。そういうことが書かれてます。小説に。ガチで。

 基本、ドラキュラ伯爵が「聖なるもの」を苦手とする理由は、人間が古くから信じ続けてきた因習や伝承が、吸血鬼と言う邪な存在の対極にあるからなんだよな。そもそも聖なるものがなにかっていうのが、人間の信じ続けてきた善意やあるべき理想、それを実践するための行為ってことだから。印象に残ってるのが、ドラキュラ伯爵は決してそれを踏みにじるようなことはせず、敬意を表して近寄らないようにしてるって書かれてたところ。

 これは俺の個人的な解釈すぎるけど、たぶん聖なるものを踏みにじったとき、ドラキュラ伯爵は吸血鬼でも人間でもない、理性も感情もなにもないなにかになってしまうんじゃないかとさえ思える。前記事にも書いたけど、ドラキュラ伯爵は多くの制約があるからこそ、不死であり続けられるし、様々な魔術を行使することができるってところはあると思う。つまり、ドラキュラ伯爵は自ら吸血鬼の君主であり続けるために、聖なるものへは近寄らないという制約を自分から守ってるんじゃないか。

 だから、ニンニクや、バラの小枝や、その他聖なるものとして因習が信じられてるものに不本意で出くわしてしまっても、やっぱり死んだり傷ついたりはしないんじゃないか。ルールを守りたいから、近寄らないようにしているということ。ルールを守ることによって、吸血鬼であり続けられる。

 こういう考察もしていきます。オタクなので。

 そういう意味では、バーチャルワールドや現代社会ってニンニクに聖なる力があると信じてる人は少ないし、バラの小枝やらもそうだし、法儀済の銀の弾薬なんてバチカン市国にもないだろうし、葛葉がニンニク食えるのも正しいんだよな。でも聖遺物として古くから信仰されてるようなヴィンテージの乾燥ニンニクとかを食うと葛葉は死にます。そういうことだと思う

 血を吸わなくてもいいってのは、これはガッツリ小説に書かれてる。吸血鬼が吸血するのは食事じゃないんですよ。吸血する理由は、第一に眷属を増やして支配勢力を拡大するため。第二に、若返り、自分の精力や魔力を強化するため。それもそうなんだよな、吸血鬼ってのはまず基本的に不死だから、栄養を補充する必要がない。実は血を吸えなくておなかが減ったよ~とか言ってる吸血鬼キャラのほうが原作準拠じゃないのびっくりしたわ。吸血鬼にとって吸血とは魔術的行為にほかならないんですね。だからでかい魔術を行使しないとやばいってならなきゃ葛葉は吸血する必要が実はない。女配信者と裏でエペしたことによる炎上からの抗議活動によってオタクが火炎瓶持ってえにからに押し寄せたら吸血しなきゃならんかもですね。

 あと日中出歩かなくていいってやつ。水声社『ドラキュラ』にもこの部分は疑問が呈されてたからなあ。悩むところ。ドラキュラ伯爵が日中に活動してる場面は少ないながらいくつかあって、それはドラキュラに対抗する勢力の旗頭であるヴァン・ヘルシング教授の言うところと矛盾してしまってる。教授は「ドラキュラは日中活動しているときは魔力を行使できなくてつらポヨしとる」って言っちゃってるからね。もしかしたらクソ萎えながら太陽の下歩いてたんかもしれんけど、そうも書かれてないから難しいところ。とはいえ、小説のドラキュラ伯爵の振る舞いと、葛葉の「太陽キモいけど歩けるよ」ってノリとは合致してる。

イマドってなんだったんだよ、イマジナリーにすることによって何から何を守りたかったんだよ

 幻想文学に幼い頃から触れてて素養があったらその限りでもないんかもしれんけど、少なくとも俺は吸血鬼と狼男は別個の怪物だと思ってたよ。ニャオハとクワッスくらい違うと思ってた。

 こと小説『ドラキュラ』においては吸血鬼と狼はめちゃくちゃ密接な存在として描かれているし、調べたところによると吸血鬼伝承と狼男伝承はセットで夜の怪異として言い伝えられている国が多いらしい。

 ドラキュラ伯爵が人間と戦闘するとき、大体狼をけしかけることが攻撃方法なんですよ。なんか動物園みたいなところに行ってまで狼を吟味したりしてる描写もあったし、信頼とまでは行かないまでも、ドラキュラ伯爵は狼に対してあるていど信用を置いていると思って構わないんじゃないか。自分が人ならざる恐ろしい存在なんだと誇示する時にも、狼を魔術でおびき寄せてきて遠吠えさせまくるのもそう。名刺代わりの狼ってぐらいにはドラキュラ伯爵は狼を出しまくってた。

 こんなにもドラキュラと狼は関係が深かったのか! と感じ入ると同時にライバーがみんなそろって猫ばっか飼うなかで、唯一犬を選択した葛葉へも同時に感じ入ったのは女々か?(薩摩)

 女々かどうかは置いておいて、葛葉が膝の上に乗っているイマドに対して「お前はな、将来立派な狼になるんだぞ」って言った有名な発言が単なる萌え豚向け動物好きイケメン萌えムーブではなくて、吸血鬼として狼に対してこだわりがあるゆえの発言だったてことにしてます。俺の中では。

 葛葉のオタクが吸血鬼と狼の関係性の深さを感じるためだけに、小説『ドラキュラ』を読む価値あるんじゃないかってくらい良い。葛葉って他のライバーと比べても、犬を飼う前から動物好きで、某ふぁぼ欄にしろなんにしろ色んなところから動物好きは漏れ出まくってた。だからこそ葛葉は動物を飼いたいけど、自分がちゃんと世話をできるのかという葛藤をしながらイマドを飼うに至ってる。でもこれって絶対吸血鬼として日々を送ってるから、犬を飼うことにしたとかじゃ絶対ない。「最近猫でもいいのかなと思ってる」とか言いながら結局犬を選んだのは、自分が犬を好きだからそうしただけ。それなのに、吸血鬼と狼の関係性の深さを思わせる結果になっているってすごい。すごいだろうが。

 葛葉しかり、吸血鬼はみんなコウモリモチーフにしてるけど、こと小説『ドラキュラ』に限ってはドラキュラのモチーフは狼にしてもおかしくないほどだ。けれども、ヴァンパイアの発祥のひとつとして、ヨーロッパには放牧している牛が巨大な吸血コウモリによって殺されたなどの伝承があり、そのコウモリを指してヴァンパイアと呼んでた説もあるみたいでもあるし、血を吸うコウモリは世界各地にも日本にも生息しているから、やはり葛葉を初めとした吸血鬼のみなさんはコウモリモチーフなのだろう。

 有名なクソデカコウモリくんの画像を見たことがある人はわかるだろうけど(画像は少し怖いので貼付を差し控えておく)、マントを身にまとった黒尽くめの格好のコウモリっぽさといったらかなりだ。ドラキュラが全身黒い服を着ていることもまた、小説にしっかり描写されている。とはいえ前記事にも書いたとおり、色んな理由があってドラキュラ伯爵自身の心情は作中語られないので、彼が黒い服を好んでいるかどうかはわからない。葛葉は黒い服を好んでいるので伯爵の気持ちは妄想するしかないのが残念なところだ。

とはいえ、葛葉は葛葉だし、ドラキュラはドラキュラ

 小説『ドラキュラ』の後半、いよいよ直接対決だと攻防を押し引きするなか、重要となる吸血鬼の規則がある。それが、有名な規則、「吸血鬼は水の流れを渡る事はできない」だ。水に浸かったりしても死にはしないので、水を苦手とするわけではないけれども、何か乗り物を使い、誰かに運んでもらわなければ川や海を渡る事はできない。ドラキュラがロンドンに侵攻してくるに際して、乗船中の隙を突くという作戦を主人公たちは取る。

 『ドラキュラ』において「吸血鬼が水の流れを渡る事が出来ない」ってのはかなり重要とはいえ、葛葉もこればっかりは吸血鬼として無視して言及を明らかにしていない感じはある。もしくは「俺泳げるよ」とかいってるかもしれない。『常夏★スカイスクレイパー』しかり、水着で遊んだりなんだりしてる様子もあったりするわけだし。一応俺の記憶の中では、葛葉が水中を泳いでいるような場面を語った記憶はないというていど。

 「霧に紛れて色んな場所に入り込むことができる」ことや、「招かれなければ建物内に入る事が出来ない」など、世界各地で古くからある怪異伝承を参考にして小説内で語られているような吸血鬼の規則もまた、葛葉と合わせて考えにくい。

 やはりなんといっても葛葉は今もこの世界に生きていて、伝承として語られるような存在ではないから、そういった規則や振る舞いを重ねることは難しいだろうと思われる。

 じゃあ今回散々書き散らしたこれはなんだったのか。それは、何度も書いたとおり、葛葉には自身が吸血鬼であるという自負が感じられるということ。そして、なにより自身が吸血鬼であるということを楽しんでいるということ。これらについて散々語り散らさせていただきました。ここまで読んでくれてありがとう。

 葛葉は自分のことを「高貴なるヴァンパイア一族の名門……」と言わない代わりに、自分が吸血鬼であるということを、今回書いたような言葉の端々で感じさせてくれようとしているのかもしれない。嬉しいことだ。